制作の徒然

今日は窯からリム深皿が出てきて、昨日銀彩したお皿、アクセサリーなどを
窯入れ。それからバーナーで器を吹く。
工房の仕事を終えて帰ってからはだいたいこんな感じで自分の作業をする。
最近バーナーでの器つくりを再開している。バーナーの技術が未熟でなかなか実用の器がつくれないのだけど、昨日はなんとかぐい呑み位のサイズ。
今日はさらにもうすこしおおきなコップができた。
技術の練習なので透明でシンプルなものをつくる。

最近のかっこいいと思う作家さんは素材はいろいろだがどれもシンプルで
素材を大切にしていて確かな技術で緊張感のある形をつくっている。
素材を大切にとなると装飾的な形や自己表現というものは必要でなくなる。
なので自然と形は単純なものになってくる。突き詰めて制作していけば
そうなるのが自然の流れだと思う。
それは工芸のことだけでなくすべてのものことに共通している。
おいしいお酒を頂いているとき同じようなことを感じることがある。
清酒も焼酎もウィスキーも突き詰めてつくられたものは底に同じような流れがあるように思う。なんとなく後味がみんな似ている。
料理にも農業にも生活のすべてに共通するなにかがあって、そのなにかに
美しさなのか、言葉にはしなくてもいいなにかがある。
なんとなく感じていることだけど。

で、今日の窯入れ。昨日のぐい呑みにラスター彩したものをテストで入れてみた。技術が未熟でシンプルな器ではとても人を惹きつけるようなものができない。というか自分がぐぐっとくるガラスでないので。色を塗るという装飾をした。
素材を大切に、装飾を排除して単純なやり方で。
そんなものをつくりたいと思っている。
ということに縛られすぎてないか?
色入れたって模様つけたって変な形にしてみたって
自己主張の塊りみたいなんだって自分がなんかいいなと思えればそれでいいのだ。それを見た人が自分と同じようにその魅力を感じてほしいなんては思わないけど(学生のときは思ってたと思う)
自分がなんかいいと思うものが自分の知らないところで知らない誰かが
まったく違う感覚でなんかいいと思ってくれたらうれしい。
そのくらいのことで
つくることにもっと自由でいれたらいいと思う。
回り道を繰り返していつかは素材を大切に、確かな技術で、緊張感のある形、
自己表現なしな、自然みたいなものをつくりたいと思う。

職人の仕事のよさは繰り返しつくることができることだと
昨日みた言葉ですがとてもいいなと思いました。
繰り返しを続けていこう。

晩御飯は春雨チャンプル。友達にプレゼントしたお皿のお返しにもらった器で。料理はだいたい適当で思いつき。
バーナーのあとの集中が残る手はいつもより丁寧に野菜が切れて
なんだかいいかんじ
ぐい呑みつくったから口当たりを確かめようということで連日の一杯の晩酌
なんだかいいかんじ